第9話 ≪ 距離感 ≫
顕示と咲は、『竜瓜《りゅうその》サービスエリア』と大きく書かれた看板を目に留めつつ、前を歩く四人に続いて建物の中へ足を進めた。出入口が開放されているせいか、中も十分に暖かいとはいえなかったが、換気の悪いバスの中よりはマシだと思えた。
誰もいない土産売り場の先から話し声が聞こえた。そこはバスの中からも見えていた、ガラス張りのレストランエリアだった。
「お、戻ってきた」
「ブランケット持ってきましたー」
「ありがとうございます~」
「ではここにまとめて置きますので。後は各々、眠りやすい姿勢で休むということで……それと、まだバスの中に荷物や貴重品を置いたままの人は念の為、取りに行ったほうがいいですよ」
テーブルの上に積まれたブランケットに、自分が抱えていた分を重ねた咲は、どこかを注視している顕示に気づきてその視線を追った。
顕示はどうやら厨房を見ているようだった。そしてツカツカと歩きだしたかと思えば、スイングドアから厨房の中へ入っていった。
咲もカウンターから身を乗り出すようにして中を覗き込んだ。そこには――ぐつぐつと唸るフライヤー、まな板の上に放置された調理中の食材、開けっ放しの冷蔵庫。そんな異様な光景が広がっていたのだ。
咲は考えた。一体、なにが起きればこんな状況のまま、調理場を放棄できるのだろうか。
例えば、巨大な熊が突然ここに迷い込んでくれば、流石にこうなるかもしれない。とにかく逃げなければならないだろう。その可能性と、人が消滅したことと、どっちがありえるだろうか……。
普通、考えるまでもないことだが、これまでに確認し得た情報が、熊出没の可能性を否定した。
顕示はフライヤーのスイッチを操作して火を止めた。鍋の置かれたコンロの火は自動的に消えたようだった。その後も、黙々と周囲を見回しながら動き回り、ガスの元栓を締め、冷蔵庫の蓋を閉じ、最後にチョロチョロと流れていた水道の蛇口をひねって閉めた。その動作は、どことなく慣れているように思わせた。
様子をみていた咲も、厨房の中に入った。
「火がついたままだったんですね」
「……そう。もう大丈夫」
顕示はそう返事はしたが、実は火の不始末などどうでもよかった。
あることを確認することが目的だったが、その前に、妙にキョロキョロしている咲に気づく。
「どうした?」
「……いえ、こういうところ、みるの初めてだったから」
するとそこへ、
「どうかしましたか?」
角刈りと七三分けの背広が、カウンター越しにこちらの様子を伺っていた。
――ほら来た。
顕示は朗らかな表情を作り、それを二人に向けた。
「火がついたままだったんです。でも、こっちはもう大丈夫ですよ」
「あ~、これは気づかなかった。二人とも、ありがとう」
顕示たちに礼を言った桑部はその後、隣の向坂をみて言った。
「俺たちも、寝る前にもう一度だけ、他の場所を確認しておこう」
「はいっ」
背広たちはやや早足で出入口に向かった。
二人が土産売り場の辺りまで進んだ頃には、顕示は元の無表情に戻っていた。
顕示が確認したかったこと。それは背広の二人組と、他の乗客たちとの〝距離感〟だった。厨房でなにかしている自分たちをみて、動いたのは背広の二人組だけだった。他の乗客たちは、それに気がついても傍観していた。そして、外の様子を見に行った二人は他の乗客には声をかけず、それをみて「なにかあったのか」と声をかけた者もいなかった。
自分と咲がバスに残っていた間に、乗客たちの関係はどこまで進展したのか。想定以上のことがないか一応確認しておくことにしたが、この結果は予想通りだった。異常事態の中とはいえ、出会ってからまだ二時間も経っていないのだから。あと、やはり背広の二人組がリーダー役のような位置にいることも、今の流れをもって再確認できた。
これからどう発展していくのか。このサービスエリアに留まって彼らの動向を見据えるのも面白い。そんな思惑が頭に浮かんだ顕示だった。
咲は、顕示のことが少しだけ怖くなった。まだ彼の人間性はよく理解できていないが、今のやり取りで顕示がみせた振る舞いは、全て演技だったことは感じとることができた。厨房に入ったのも、火の不始末を確認したかっただけではなく、別の意図があったことも。
それ以上のことはわからない。ただ一つだけハッキリとわかったことがあった。
――やっぱりこの人は、他の人とは根本的になにかが違う。 その〝なにか〟を、わたしは頼っているんだ……。