第13話 ≪ 吉岡と仁村 ≫
目を覚ました向坂はむくりと体を起こし、寝ぼけ眼のまま辺りを見回した。談笑をする他の乗客たちの様子を目で追う内に、昨夜の記憶がぼんやりと蘇ってきた。ここはサービスエリアで、自分たちは置き去りにされたのだった。
「お、やっと起きたか」
傍のテーブル席に桑部がいた。テーブルの上には缶コーヒーが置かれている。
「……おはようございます」
目を擦りながら返事をした。昨夜の疲れもあるせいか、頭がなかなか起きてくれない。あれからすぐに眠りに落ちたようだが、薄ぺらいブランケットは床の固さを全く緩和してくれず、背中や腕が所々痛む。
「おう、おはようさん」
そうにこやかに言った桑部は普段の様子でシャキッとしていた。とっくに目を覚ましていたようだ。
袖をまくって時計をみると、十時になろうとしていた。
「うわぁ、もうこんな時間……起こしてくれてもよかったんですよ」
本当はまだ眠気が残っていた。ここが自宅で今日が休日なら、間違いなく二度寝していただろう。
「いつも朝早かったからな。こんな時ぐらい寝かせてやるさ。とりあえずトイレで顔でも洗ってこいよ」
「はい……行って来ます」
周りをみる限り、今まで寝ていたのは自分だけのようだった。
外は相変わらずの吹雪だった。幸い建物の出入口からトイレまでは屋根伝いにいけるので、服が濡れる心配はない。しかし、風はとても強く視界も酷い。車無しにはここからは動けそうにないと思えた。
洗面所の拷問的な水の冷たさに耐え、ハンカチで顔を拭ったところで、昨夜、眠りに落ちる前に恋人の〝ゆかり〟にメールを送っていたことを思い出した。背広のポケットから携帯を取り出し、さっとメールを確認する。しかし、受信箱の未読メールは0件と表示されていた。念の為、新着メールも確認してみたが『新しいメッセージはありません』と空しい結果が表示された。嫌な予感が全身を包み込む。
ゆかりは、今日は午後からバイトのはず。時間的にはとっくに起きているはずだ。
向坂は恋人へ電話をかけた。きっと電話にでてくれると信じて。
外に出られないこともあってか、目を覚ました乗客たちはなにをするわけでもなく、レストランで時間を潰していた。初めは現状の話を熱心に議論していたのに、途中から四方山話ですっかり盛り上がってしまった席もあれば、携帯電話のネット機能を利用して、外の情報を集めようとする人もいた。
テレビとラジオが駄目となると、頼りはネットしかない。しかし、
「……本当だ。どこのニュースサイトも、昨夜から更新されてないですね」
「でしょ? 絶対に変ですよ」
その異常に最初に気がついたのは、迷彩服の男だった。誰か他の人にも知らせようと、近くの席で携帯をみていたニット帽の女に声をかけたのだ。
「それだけじゃなくて、ツイッターも誰もつぶやいてないし、毎日更新されてるブログも昨日のままなんですよ」
ニット帽の女も、ネット上のことで朝から気になっていることがあった。
「……私、ネットで小説を書いてるんですけど、毎日三桁はアクセスがあるのに、昨日の夜から急に0件になってるんです」
「あー、そうなんですか……0件っていうのは今までになかったんですか?」
「平日は稀に二桁台もありますけど、少なくとも0件は今までにないですね」
毎日三桁はアクセスのあるサイトが、急にアクセス0。ネットの個人小説はあまり読んだことはなかったが、それは不自然だと思えた。
「俺、思うんですけど……馬鹿なことだってわかってて言いますけど……」
迷彩服の男は小声で言った。
「まるで人がいなくなっちゃったみたいじゃないですか?」
ニット帽の女も頷いた。
「実は私も、そう思ってたんです」
ニット帽の女は、昨夜、顕示と桑部たちとやりとりを聞いた時から、その可能性を頭に浮かべていた。厨房の火がつけっぱなしだった件だ。ここが無人であることや、電話に誰もでないことといい、そうでなければ説明のつかないことが多すぎる。
「……その話、僕も混ざっていいかな」
そう言って二人に近づいてきたのは、トイレから戻ってきたばかりの向坂だった。
向坂は椅子に座りながら言った。「僕は、向坂と申します」
そしてとニット帽の女と迷彩服の男も軽く会釈をしながら言った。
「吉岡《よしおか》です」
「仁村《ふたむら》です」
吉岡が言った。
「ネットのニュースサイトが、更新されてないって話をしてたんです」
続いて、仁村も話す。
「どこのブログも更新されてませんし、ツイッターも誰も呟いていないんです。なにもかもが、昨日の夜のままなんですよ」
向坂も自分のことを話した。
「……僕は、昨日寝る前に彼女にメールを送ったんですけど、未だに返事がないんです。それでさっき携帯に電話したんですが、やっぱりでないんです」
「まだ寝ている可能性は? 単に気がついていないとか」
仁村の指摘に、向坂は続けて話した。
「僕もそう思って、家の固定電話にもかけたんです。家族が絶対に電話にでると思ったんですけど。誰も電話にでないんです」
うんうん、といった様子で二人は頷いた。
「それで、今度は会社の同僚にも手当り次第に電話をしたんですけど、やっぱり誰もでないんですよ……昨日から薄々思っていたんですが、僕も人が消えたとしか思えなくなってきて」
仁村も吉岡も、自分の家族や知人に電話をかけていたが、未だに誰とも通話はできていなかった。
「でも電話の件は、昨日あの人が言ったように、基地局の故障の可能性もありますよね?」
吉岡は言葉を続けた。
「あの人は、向坂さんの上司ですか?」
「あー……、そうです。僕の上司です」
なんとなくそう思っていた吉岡だった。
「上司はああ言いましたけど、過去に電話会社に勤めていたっていう話は聞いたことないですから。ほんとにただの、予想だと思います」
二人はしんみりと頷いた。あの話に信憑性があるなら、それが一縷の希望になりえたかもしれないが、どうやら期待薄のようだ。
仁村が口を開いた。
「……話ずれますけど、向坂さんは、今どんなお仕事してるんですか?」
「僕は人材派遣会社に勤めてます。B社って聞いたことないですね?」
「B社……あー、あるある! バイト探してた時にみたことある!」
元気のいい仁村の声で、空気が和やかになった。
「アルバイト情報サイトとか、あちこち利用してますから」
「B社って結構有名ですよね~」と、吉岡。
「まぁ、東京と名古屋、あと大阪と福岡にも会社があるんで。そこそこ大きいんじゃないですかね――」
仕事の都合でバスに乗ったという向坂の話から、吉岡と仁村も、自分のことを話した。
吉岡は大学生で、都内の喫茶店でバイトをしながら一人暮らしをしている。今回は岐阜にある実家へ帰省旅行をするところだった。仁村も、日雇い系の仕事を転々としながら都内で一人暮らし。今回は大阪の某所で開かれる、ミリタリーグッズの展覧会に行くところだったようだ。
その話も落ち着いたところで、仁村が言った。
「……とにかく、情報がないとなにもわからないですね。雪さえ止んでくれればいいんですけど」
三人はガラス張りの外壁から外の様子をみた。雪は全く止みそうにないどころか、また強まった気さえする。大学を出るまでは北海道で育った向坂の目からみても、経験のない猛吹雪だった。強引に歩いたとしても、大した距離は進めないだろう。
「……クローズドサークル……」
なに? といった様子で、向坂と二村は吉岡をみた。
「小説用語です。吹雪の山荘とか嵐の孤島とか、登場人物たちがその場から身動きが取れなくなって、そこで事件が起こるっていうミステリーの舞台のこと」
「あぁ、ネットで小説書いてるんですよね?」
「へぇ、どんな話書いてるんですか?」
向坂はスタッフの派遣先へ営業に行くこともあるせいか、相手の話にはとにかく〝食いついて乗る〟癖がついていた。
本当は恋愛小説を書いている吉岡だったが、
「んーと……夜行バスに乗った人たちが……吹雪のせいでサービスエリアに閉じ込められて……他の人間はみんな消えちゃったっていう話っ」
吉岡は悪戯っぽく、にんまりとした顔をしている。冗談を察するにはそれで十分だった。
「あはははは! それって!」
「おー、なるほどですねぇ。とても興味深い話です」
仁村は馬鹿笑いし、向坂は可笑しそうに興味を示す。
本当に書いている話はさておいて、向坂はノリで話を広げることにした。
「で、その話の主人公たちは最後どうなっちゃうんですか?」
「それはー、えっと…………」
吉岡が大急ぎでストーリーを考え始めた、その時だった。
「人間はもう消えたんだ!」
突然の大声に、三人も驚いてその方をみた。
「ちょっと、落ち着いて!」
泣きそうな表情を浮かべる細身の若い男を、周囲の人がなだめるように囲っていた。
「だって俺、みたんです……」
吉岡が立ち上がった。
「見たって、なにをですか?」
小刻みに粗い呼吸をしながら、頻りに視線を泳がせる男は、ゆっくりと口を開いた。
「…………人が……消えるところ……」