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言葉は嘘をつきません

第24話 ≪ 最終話(後編) ≫ 夜行バスの人々(なろう版)

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前話 第23話 ≪ 最終話(前編) ≫ 夜行バスの人々(なろう版)

 

第24話 ≪ 最終話(後編) ≫

 向坂は言葉に迷っていた。皆が必要とするはずの車の鍵。それを持っていながら、誰にも言わずにここを出ようとする。それがもうありえない。

 その警戒心が向坂を慎重にさせた。ようやく出せた言葉は本心とはあまり関係のないことだった。

「……どこでそれを?」

 そう言いながら、そんなことはどうでもいいと向坂は自身の意に反抗していた。それでも、上手く言葉が作れない。

「事務室にあったコートの中さ。もうなかっただろ?」

 それがどうした? と言わんばかりの口調で顕示は答えた。

 知らない話だったが、桑部は二人のやり取りからなんとなく理解した。向坂は車の鍵を探していた時に事務室にも足を運んだのだろう。従業員のコートの中……なるほど。確かにその中なら消えてなさそうだ。そしてこの顕示という男もそれに気がついた。そして、鍵を探す向坂の行動をどこかでみていた。でも協力しなかったのだ。おまけに自分たちだけここから出て行こうとしている。

 なんて勝手な奴だ、と桑部は思う。だが、うろたえていても仕方がない。目的の変更を意識する。最優先事項は鍵の確保だ。

「……なぁ、顕示くん。その鍵は我々にも必要なんだ。わかるだろう? 話し合いのチャンスをくれないか。それとも、君たちだけでここを去らなければならない事情があるのか?」

 そんな事情あるわけがない。そう決め付けながらもその問いを付け加えたのは、反応材料を増やすことが目的だった。桑部は慎重に構えることにしていた。強制するような姿勢は駄目だ。一片の正義や正論も示してはいけない。かといって低姿勢もいけない。そんなことをしてしまえば、彼はこちらを嘲り、がっかりするだろう。興味を削がれたらお終いだ……考えすぎだとは思わない。彼は意思疎通を楽しんでいる節がある。この手のタイプは条件さえ満たされれば必ず相手の意見に合意する。解決の糸口は言葉の中にある。いま意識しなければならないことは、確実に会話を繋ぎ止めること。言うなれば時間稼ぎ――

 桑部はこれまでの経験則から、顕示という人間を全力で掌握しようとした。特に大学生時代に心理学の講義を通して学んだ犯罪心理学を意識した。目の前の男から犯罪者や愉快犯に近い心理構造を感じたのだった。

 顕示は車の鍵を指先でくるくると回しながら言い放った。
「どのような条件を提示されても渡す気はない。なにを考えても無駄だ。力ずくしか方法はないぞ」

 耳を疑うような挑発的な言葉に、これまでに経験のない憤りが桑部の心中に込み上げた。なにを食ったらこんなでたらめな人間に育つんだ。

 桑部は怒り心頭するものの、冷静な自分を内側に作り対処する。

「……よく聞こえなかった。もう一度言ってくれるかな?」

「諦めろと言ったんだ」

「……話し合いのチャンスはくれないのか?」

「あげない」

 

 ちょろい やっぱり返事をしてくる

 

「……そうまでしてここから出て行く理由を是非とも知りたい。後学の為にも、教えてくれないかな」

「断る」

「なぜ?」

「それを話したところでお互いマイナスにしかならない」

 

 知った風な口を利くな 若造が

 

「……きみがそう思っていても、私は知りたいんだ。お願いだよ」

「嫌だね」

 

 落ち着け 相手は怒らせて手を出させようとしているんだ

 そうなればこちらの負けだ 弱みを作るな

 

「……なんとなく察しはついているよ。きみは人のことが嫌いなんだろう?」

 

 今更思えば この男の素振りはどことなく演技臭かった

 まるで〝人の振り〟をしているような

 いや もう そういう男だと決め付けていい

 本心を隠して人を偽る 詐欺師のような奴なんだ

 

「ぜんぜん。生きる為に、人とは積極的に関わってきた」

 

 自分だけが不幸だとでも言いたいのか

 典型的な社会不適合者の思考だ 

 こいつの親はなにをしていた?

 

「うん、うん……そうか……つまり、我々が信用に値しないというんだな。きみは」

「その通りだ。僕からみればあなたは子供に等しい。思考パターンも風潮に簡単に左右される、どうにでも転ぶシンプルな生き物だ。人格も能力も、なに一つ当てにできない」

 

 このクソガキ……っ!

 どうせパソコンで知ったつもりになっているだろう

 可哀想な奴……っ!

 現実の生の人間と関わってないからこんな思考が芽生えるんだ

 

「ははは、そこまで言うか……」

「真剣な話の最中に、そんな風に笑うのは感心できないな」

「きみが言えた口じゃないだろう。人を怒らせて楽しいか? そもそも、その自覚あ

る? 私はすごく怒ってるよ」

「僕にはどうでもいいことだ」

「……きみねぇ」

 

 ゆとり思考って奴か

 情報に溢れた社会 大人を頼らなくても生きていけるという大きな勘違い

 そこで成長が止まることをこいつは学ばずに生きてきたんだ

 ぬるま湯の中で育ったんだろう

 

「……わかった。話を戻そう。その車の鍵だが、」

「いや、もういい。気の毒になってきた……その気にさせて悪かったよ」

 

 桑部の中でなにかが切れた。

「お前、何様のつもりだ!!!」

「ちょっ、桑部さん! 落ち着いて!」

 向坂は勢い任せに突進しようとする桑部の腕を掴んだ。

「これが落ち着いてられるか!!! 離せ!」

 もう話し合いどころではない。桑部は向坂の手を乱暴に振り解こうとした。顔を真っ赤にして怒りを露にしている。向坂は、こんなにも怒り狂う桑部をみたのは初めてだった。無理もない。あの男の言葉は常軌を逸している。怒りを通り越して恐怖さえ感じる。

「……この程度か。陳腐な奴だ」

「お前! もっかい言ってみろ!」

「そんな命令聞くわけないだろ。僕にはなんのメリットもない。聞けばなんでも答えると思うな」

「てめーがもの教えてんじゃねーよ! お前いくつだ!? 答えろ!」

 

 ふっ……と、顕示は鼻先で笑うような笑みを浮かべた。

「……これ以上の意見交換を望むならまず土下座だな」

「土下座……だと!?」

「そうだ。お前、俺に土下座しろ。〝せっかく本心を正直に答えてくれたのに、その誠意を無下にしてしまい申し訳ない〟と。〝真剣な話の最中に嘲け笑って申し訳ない〟と……まず反省からだ」

 顕示は汚いものを見るような目でその言葉を吐き捨てた。その後も畳み掛けるようにして言葉を重ねる。

「お前の頭の中なんて手に取るようわかるぞ。どこまで思惑通りだった? 馬鹿正直に返事を返してくるからちょろいとでも思ったか? 俺みたいな奴は立派な社会不適合者だろうさ。あんたのような危機感の足りない人間からみればな。でも安心するといい。あんたはなにも間違っちゃいない。なんの変哲もないただの人間なんだから。どうして怒っているんだ? 聞かせてくれよそのワケを。話せるもんならね…………あはははははははッ!――」

 大袈裟に腹を抱えて笑う顕示。桑部を止めながら向坂も必死で言葉を放つ。 

「もうやめてください! 黙って下さい!」

 向坂も怒りの念を込めて顕示を強く睨んだ。しかし、笑い終えた顕示は無表情にこちらをみているだけだった。なんの反応もない。無視されている……違う。

 

 これは……観察?

 この男は自分たちの様子を観察しているんだ!

 

「……ここらが限界か」

 顕示はそう小さく呟くと咲の手を掴み、また歩き始めた。

「待てぇ! 止まれ!」

 桑部は叫んだ。最悪の手段だが、意思疎通ができないのなら力ずくでやるしかない。

 しかし、彼女の方がチラと振り返っただけで、顕示という男はこちらを見向きもしなかった。

「手を離せ! あいつをぶん殴らせろ!」

「離しません! どうしてもと言うなら僕を殴り倒してからにしてください!」

 向坂は全力で桑部の体を抑えた。力を緩めれば本当に殴りに行ってしまう。それだけは駄目だ。この人は一生後悔する。

「……さきさかぁぁぁ…………っ!」

 顕示たちは桑部と向坂から十分に距離があけたところで折り返すように進路を変えた。

 建物の裏手に行こうとしていることがわかる。

 呼吸が落ち着いた桑部をみて、向坂はそっと手を離した。

「桑部さん……離しますよ」

「…………はぁ、はぁ…………すまなかった……」

「止めてくれて、ありがとう」

 その言葉を聞いてほっとした向坂だった。だが、桑部は泣きそうな顔をしている。

「頼りにしてるんですから、しっかりして下さい!」

 向坂は桑部の両肩に手の平を叩き付けた。

「うん……」

 こんなにも弱々しい桑部をみるのも初めてだった。経験の無い感情の高ぶりだったのだろう。身も心も衰弱しているのがわかる。

「……手はだしたくない。もうださないさ……絶対に彼の意思で、鍵を渡してもらうんだ」

 桑部はボソボソと独り言のように言った。

「でも、どうやって?」

 建物の裏手には車があるのだろう。出発されたら手遅れになる。

 正直、こんな嫌な思いをするくらいなら諦めた方がマシだとさえ思う。

「…………くそぉっーーー!」

 桑部はそう力強く叫び、自分の頬をバシンと両手で叩いた。

 

 顕示たちは建物の側面にある細い道まで歩き進んだ。視界の先にはもう裏手の駐車場がみえている。

 咲は歩きながら、さっきの状況を頭の中で検証していた。

 ここを発つことと、鍵の所持がばれる――当然、咎められ、最終的には鍵をわたすことになるだろう。どれだけ事情を並べても、聞こえよく言葉を装飾しても、理想という無敵の発想を負かすことはできない。言葉の勝負では絶対に〝普通の人〟には勝てないのだ。そして、どうみても普通の人であるあの二人は、そんな言葉を多用しただろう。自分たちには暴力でしかないその力を――だから顕示は初めから「渡す気はない」と断言した。〝してあげた〟のだ。その上で「力ずくしか方法はない」とまで、相手に正解を教えた――それでも彼らは言葉を使った。その時点で結果はでていた。鍵は入手できない。彼らが鍵を得るには、顕示の言うとおり、初めから力ずくで奪うしかなかったのだ。なぜなら、顕示は普通の人ではない。渡さないと言ったら、絶対に渡さないだろう。

 そして結局、桑部は暴力に訴えた。というより、制御できなくなったのだろう。そうする前に、もし一言でも「きみの言うとおり力ずくで奪うことにした」とでも言っていれば、顕示という人間は桑部の相手をしたように思える。しかし、桑部の頭にそれはなかった――それもそのはず。あの二人は……少なくとも桑部という男は、顕示という人間の言葉を初めから全く聞いていなかった。桑部が会話していた相手は顕示ではない。本人はきっと自覚していないだろうが、桑部は自身の頭の中にある、常識という概念と会話していたにすぎないのだ。だからあのように、身勝手気ままに怒り狂う。だから顕示も会話を切ることができた。「やっぱりこいつは自分の話を聞いていない」と、確信できたからだ。

 ここまではわかった。でもその後のことがわからない。顕示の口からでた言葉がでたらめすぎるように思えるのだ。火に油を注いだだけとしか――

 疑問は固まったが、咲はまず印象から言った。

「……顕示さん、怖すぎです」

「ごめん、ちょっと乱暴すぎたよ」

「どうしてあんなことを? まるでわざと怒らせたみたいです……」

「……理由は二つ。僕からどうやって鍵を奪うか、興味があった。だから少しだけ付き合うことにした。しかし、なんの変哲もない方法をとってきたからな。あれじゃ頭下げて媚びているのとかわらない」

 顕示の返答に、咲はすぐに違和感をもった。そうは思えない、なにか違う。貴方がそんな陳腐なことをするわけがない。自分が間違っているのか、顕示が言葉の選択を間違えたのか……。

「もう一つはね」

 続きを言いかけた顕示は。急に足を止めた。

 咲は顕示の視線を追う。

 その先にいたのは、食らいつくような眼差しでこちらをみる桑部だった。桑部は反対側から回り込んできたようだ。

「…………」

「…………」

 顕示と桑部は睨み合った。

 

 さぁ どうする 桑部

 ここが最終ラインだ

 お前はここで俺を止めるんだ

 止めなくちゃいけない

 ……やってみろよ!

 

 顕示は頭を空にして、桑部の言葉を静かに待つことにした。

 今はなに一つ考えてはいけない。気構えも駄目だ。

 全てあの男に対する冒涜になってしまう。

 

 桑部は狭い通路の中央に立ち、その場で腕と足を広げて立ちはだかった。

 見紛うことなくそれは、

 

 〝通せんぼ〟

 

 通さない――絶対に通さない――

 その意思を体で表していた。

 

 ――素晴らしい。顕示はそう呟いた。それでも、

「ここは通れないみたいだから、反対側から行こう」

 まだ甘い、と思う。ただそうしているだけなら相手にする必要がない。どうにでも回避できるのだ。

 しかし、振り返った視線の先では、向坂も通せんぼをしていた!

 ポタ、ポタ――と、ついに雨が降ってきた。轟音が追い討ちをかけ、雨脚はすぐに強まりをみせた。

 桑部は顕示の言葉を一つ残らず真正面に受け、自分は試されていたと考えた。この男はきっと自分には想像もつかないような、ドラマのような人生を歩んできたのだろう。そして学んだ。俺のような常人では到底理解し得ないような答えと向き合ってきた。苦痛の中で、自分の意思とは無関係に、生きていく為の学習を余儀なくされたんだ――自分はこれでも堅実に生きてきたつもりだ。遊びたい年頃の時期も、誘惑にひたすら耐え、歯を食いしばって勉学に励んできた。生涯勉強だと年上を敬い、そして部下の将来を守ることに人生を注いできたつもりだ……自分は真人間だと思う。その性格で損をしてきたことも山ほどある。でも、そんな人生はこの男のような奴からみれば、運が良かったからこそ歩めるものなのかもしれない。自分はただそういう人生を歩める環境が整っていた、それだけなのだ――リストラされた同期をみて、明日は我が身と思いつつも、心のどこかでは人から認められている自分に優越を感じていた……。

 

 世の中それが普通なんだよ

 社会の闇を意識して自分を疎かにすること

 それは心の弱い人間の心理だし

 その闇に立ち向かうことは

 自分を大物ぶった、恥ずかしい行為なんだ

 所詮 自分は社会の歯車さ

 正義の心を宝箱にしまい 一生使わない ただの無防備な凡人さ

 それでも 一人の人間として 間違った事だけはしまいと思っていた

 ……畜生ッ! 

 私はただ彼を子供扱いしていただけだった

 そしてそれを悟られたんだ

 そんな奴 馬鹿にされて 当然だ

 顕示くん……

 私はきみと対等になれる武器を持っていない

 だから この身を使う

 それが今の私の武器だ

 この体で きみを止める!!!

 

 雨が降っても微動だにせず、構えは解かない。

 顕示はその桑部に意思に感服していた。気を緩めれば涙さえ零れそうだった。相撲取りのように武骨に両足を広げ、目一杯に両腕を広げた桑部――その堂々たるポーズは、美しくさえも感じられた。

 咲も諦めを誘うように、顕示の腕に寄り添っていた。

 

 顕示は鍵を取り出し、桑部に差し出した。

 言葉にはださなかったが、素直に負けを認めたのだ。

 

 姿勢を解いた桑部は、静かに歩み寄り、その鍵を両手で丁寧に受け取ると、ぎゅっと鍵を握り締めた。

 その途端、顕示たちはなにも言わず、表の駐車場に向かって歩き出した。

「……顕示くん! ここに残ってくれないか!」

 去ってほしくない。それに彼のような人は必要だ。桑部はそう思う。

 しかし、顕示はまた振り返らずに言った。

「……嫌だね。俺は人が嫌いなんだ!」 

 自分をかわして歩き去る二人を、向坂は、なにも言わずに見送った。

 

 彼らを止められない。そして恐らく、もう二度と会えないのだ。

 そう思うと、胸の奥からボロボロとした感情が込み上げてきた。

 向坂は桑部に駆け寄った。悲しみに打ちひしがれる桑部を、みてはいられなかった。

「桑部さん。もう終わったんです、これでいいんです!」

 彼らのことは残念だった。止められなかった。でも、鍵は手に入れたのだ。

「あぁ……そうだな……」

 桑部は虚ろな様子でそう力なく答えた。

「……風邪ひいちゃいますから……とりあえず中に戻りましょう」

 向坂は桑部の背に手をあて、支えるようにして歩いた。 

「……俺、やっぱ駄目なのかなぁ。止められなかった……」

「なに言ってんすか。桑部さんは最高です。かっこよかったっすよ」

 向坂のその言葉で、少しだけ元気を戻せた桑部だった。
 

 ◆ ◆

 

 深夜一時――雨は止み、駐車場は静寂と寒気に包まれていた。一時、強く降ったこともあり、平らな雪景色は無残な形にその姿を変えていた。

 夜行バスの人々が乗車したバスとは、別の高速バス――その乗車口から降り立ったのは、顕示と咲だった。桑部に鍵を渡した後、二人はずっとそのバスの中で身を潜めていたのだ。

 バスを降りた二人は静かに建物の裏手に向かった。

 そして顕示は一台の車の前で、ポケットから〝二本目〟の車の鍵を取り出した。

「どうした?」

 車の鍵は開けた。その音は聞こえていたはず。でも咲はぼんやりと建物をみている。

「いろんなことがあったなぁって思ったら、少し寂しくなっちゃって」

「……そうだな。充実した二十四時間だった」

「うん……たった一日のことだって、今でも信じられないくらい」

「咲、感傷に浸るのは後にしよう。みつかるとまずい」

 咲を急かして、ようやく出発となった。
 駐車場を最短の道で走り抜け、高速道路に出ると、サービスエリアは瞬く間にみえなくなった。

 バスに戻ってからの顕示はどこか思いつめた様子で一言も喋らなかった。話し掛けないでくれ、一人にしてくれと言っているような雰囲気さえ纏っていた。

 だから今、ようやく聞くことができる。

「あの時の…もう一つの理由、聞いてもいいですか」

 事務室でみつけた車の鍵は二本あった。だから、すぐに鍵を渡していればあんなことにはならなかった。あの時顕示は、二本目は誰かにあげようと言っていたのに。

「……忘れちゃった」

「嘘だ」

 貴方が忘れるわけがない。

 暫しの沈黙の後、顕示は静かに語り始めた。

「…………この世界には、普通の人生を歩めている人間と、そうじゃない人間がいる。平均からズレた感覚を必死で制御しながら、大多数の風潮に合わせて、毎日命がけの〝演技〟をしながら生きている人が沢山いるんだ。社交性という名の演技を………。なのに、この社会にはそんな人々の存在に気がつけていない人が巨万《ごまん》といる。言葉の暴力で、無意識に人を自殺に追い込んで、なに食わぬ顔して生きている人が……いつか、なんらかの方法で、その現実を伝え広められればって、そう思っていた。あの時さ、この男で試してやろうって思ったんだ。僕みたいな人間は、口を閉ざして生きるしかなかったのか、それとも…………今は後悔しか残っていない。僕はあの人に、嫌な思いをさせただけなのかもしれない」

 結局、伝えたところで相手は困るだけ、それは咲もずっと思い抱いていたことだった。相手の人生も、自分の人生のように複雑に狂わせてしまうかと思うと、人と距離をあけるしかなかった。でも、それじゃいつまでも前に進めない。それもわかっている。だから前に進もうと思った。

 咲の単身旅行の目的は、言うなれば〝気持ちの整理〟だった。自分一人だけで知らない町を歩いて、初めてのものにたくさん触れて、塞ぎこんでしまった自分の心を開放したかったのだ。

「……わたしは、少しだけ嬉しかったですよ」

 顕示のような人と対峙することになって、あの人は可哀相だったと思う。

 それでも顕示は、自分も抱いていた社会に対する積年の想いをぶちまけてくれたのだ。

「……そっか」

 咲のその言葉で、少しだけ気が楽になった顕示であった。

 

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