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人は、言葉からは逃れられない。

発達障害特徴の克服その2『コミュ障はこう治せ!』

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【発達障害特徴の克服】 カテゴリーの記事一覧 - HyogoKurumi.Scribble

ここ近年で発達障害の認知度は一気に広がりました。特に〝アスペルガー〟は家庭医学書籍だけではなく、漫画媒体でもよく見聞きするようになりましたね。ネット上では、アスペという略称が流行しているでしょうか。

アスペルガー、略して、アスペ。元々は発達障害界隈でも普通に略称として使われていた気がするんですが、〝話が通じない人〟を蔑む意図で使われている場面を見かけるようになったせいか、当事者同士でもあまり使わなくなったなぁと、私は現状をそのように捉えています。

それはさておき、アスペルガーと言えば〝コミュニケーション難〟のことが、真っ先に連想できる特徴の一つかと思います。私も『アスペルガー障害』の診断を受けている一人ですが、人間関係については随分と悩まされました。

第二回では、そんなアスペ特徴でもある、コミュニケーション難(以下、コミュ障)について、人生に及ぼす影響の範囲から、その特徴の克服方法に関する話をします。
私は中学生の頃から障害特徴を意識しながらも、三十歳になるまでグレーゾーンとして生きました。その間、診断や薬を頼れなかったこともあり、自助努力で克服できたことがいくつもあります。今回の話もその一つです。

前回のケアレスミスの記事では、その要点が他者と共有しやすい形である程度、明確化されていました。凡ミスを頻発してしまうという課題や、凡ミスをしないという結果は、ある一定の基準が共通認識としてあると言えます。しかし、今回のコミュ障の話は、そういった要点を示しにくいです。例え自身のコミュ障言動のせいで相手を困らせてしまったとしても、それが必ずしもよくないことだったとは言い難いですよね。全ては『人と人とのストーリー』の始まりにすぎないからです。ダメとする課題の対象や、良しとする結果が、人それぞれ意見が大きく異なってしまいます。

それなのに『コミュ障』という基準が、医学的な用語としての『コミュニケーション障害』とは違う意味で、一つのパッケージとして、この社会にはその存在が認知されています。

これもまた、普通のラインを逸脱した存在がいるということを、示しているわけですね。

この記事で記す克服方法がベストマッチしていれば、一ヶ月程度で『空気が読める感覚』や『自分自身に対する信頼感』など、他者とコミュニケーションを取る上であると嬉しい感覚が、頭のどこかに形成されていくと思います。 発達障害者関連の記事ですが、普通の人にも有効です。今回も『体験版』付き(笑)ですから、あくまでも私がお伝えできる一例のことですが、当事者の感覚を知りたい~体験してみたいという方も、ぜひ読んでみて下さいね。


■1.喋ることが、怖くなる

克服法云々の話の前に、本記事におけるコミュ障という言葉の解釈をある程度、共有する必要があるかと思いますので、まずはその点も踏まえて『コミュ障あるあるエピソード』の話をしましょう。貴方の胸をえぐる話もあるかと思いますので、リラックスした状態で読んで下さいね。


●普段の日常の中で相手を困らせてしまう

日常の話は、特に学生時代の出来事が中心になるかと思います。

◎言動の温度(強弱)や、感情の変化(喜怒哀楽)の調整が、適当ではない
例えば朝、よく雑談を交わしている前の席のクラスメイトに「おはよ~」と言って、「昨日のテレビの○○みた?」とか「みたみた、あの○○笑った~」といった雑談を、先生が教室に来てホームルームが始まるまでする――たったこれだけの日常会話も無事に終わらせることが困難です。その短いシチュエーションのどこでどんな困った言動をしてしまうのかと言うと、例えば、面白かった部分を話す上でその声が大きすぎたり、軽いツッコミのつもりで相手を強く叩きすぎたり、そこじゃないところで急に笑ったり怒ったりといった、どうやら話にはついていけているけど、その表現に節度がないという様子をイメージして下さい。

◎相手や周囲の評価から外れた言動をとる
一般的な学校の教室の、休み時間の様子を思い浮かべて下さい。そこで、一番大きな声で話したり笑ったり大きな音を出したりして騒いでいるのは誰でしょう? どんなグループでしょう? 模範解答としては、クラスのムードメーカーや、イケメングループ、不良グループや、女子グループの一部などが、よくある光景かと思います。でも、おとなしいグループの中から、そのような大きな騒ぎ声が聞こえてきたら、ちょっと違和感を覚えますよね。授業中でも、ムードーメーカーである人気者と教師が、ちょっとした笑えるやり取りをして場の空気を緩めてくれたところで、いつも教室の隅っこでいつも同じ相手としか喋っていないおとなしい生徒が、急にそのやりとりの会話に加わってきたら、「え?」って思います。普段は聞きなれない声が目立って聞こえるということは、それだけでとても目立ってしまうものです。そういったタイミングで流れを狂わせてしまいますから、普通の感覚なら相手や周囲の評価から外れた言動はとらないようにするものなのですが、それなのに「なんでそこで、それを、お前が? 経緯がわからない」という言動をとってしまうイメージです。

◎場の空気や雰囲気から外れた言動
コミュ障といえば「空気が読めない」ですね。というか大体その一言でまとめられている感じなんですが、私的に、それほど万能な言葉ではないと思っています。先の2つもコミュ障あるある言動ですが、「空気が読めない」というワードでは表現し切れないかと思います。「でも空気に沿っていれば問題にはならなかっただろう」という解釈はアリだとは思いますが、それは結果論であって、先の2種の課題が帳消しになるわけではありません。「空気が読めない」言動の何が問題であるかというと、「変な空気を作ってしまう」ことが問題です。そこにいたくない、加わりたくない、と感じられる空間を作ってしまうことです。また、既存の空気の完成度を下げてしまったり、上書きしてしまうことも問題です。総合して「共有スペースの私物化」に値する行為だから、大多数が嫌悪感を抱くのだと私は考えます。


・言動の温度(強弱)や、感情の変化(喜怒哀楽)の調整が適当ではない
・周囲の評価から外れた言動
・場の空気や雰囲気から外れた言動

様々なシチュエーションがありますが、代表的な言動は、この3種のどれかに当てはまるかと思います。学校での言動を中心に書きましたが、家庭環境化における家族相手でも同様だろうと私は考えます。知的障害者を連想した方もいるかと思いますが、それは大袈裟ではなく実態に沿ったイメージです。本記事では解説しませんが、健常者と知的障害との境目を曖昧にとらえることは、自閉症スペクトラムの概念と言えます。

これらの言動を、もしなんらかの事情で行うとすれば、大きなリスクを想定する事は必至だと思います。だってそうですよね。こんなことをしてしまったら、周囲から変な目でみられたり、怖いクラスメイトから目をつけられたりするかもしれません。相手を困らせてしまいます。明るい未来よりも自分に対する評価が下がってしまう、不利益な未来の方が濃くイメージできるかと思います。でもここで言うコミュ障言動をしてしまう存在は、そのリスク想定ができていないのです。反射的にそういう言動を取ってしまったり、先の事は考えているとしても、明るい結果しか頭になかったり、非現実的なストーリーを考えてしまっている、そんな様子をイメージして下さい。相手が怒ったり泣いたりした後で、自分のせいだと気が付いて反省するパターンが多いです。それを何度も繰り返した末に、私のように自分自身に普通とは違う何かを自覚する人もいます。

コミニュケーションは、「言動」を、〝言葉〟と〝動作〟に分けると考えやすいです。学生時代は「言葉」の面が特に目立つかと思います。具体的に動作面の話が加わるのは、「行動や成果」が求められる社会に出てからです。



●普段の仕事の中で相手を困らせてしまう

仕事では、「言葉」だけではなく「行動や成果」が求められます。ですので「仕事の指示が平均的に理解できない」といった〝言葉〟上の話だけではなく、それ故に「仕事が求めていない行動をとってしまう」といった、〝動作〟面による二次弊害まで話の範囲が広がります。そういう意味でも、この項は「学生時代の委員会や部活の中」でも接点がある話です。
言葉の面におけるコミュ障特徴は成長と共に目立たなくなる人も多いらしいので、コミュ障のまま社会人になった場合は、「動作」部分の方が目立っている事が想定できます。

大体のコミュ障の人は学生時代から、人間関係の失敗や、嫌われ~いじめなどの体験を通して、自分のコミュ障特徴で人を困らせてしまうことを、なんらかの形で自覚しています。あくまでも私的な印象の話ですが、学生期間中にコミュ障を解消できた人より、コミュ障のまま社会に出た人のほうが圧倒的に多いように思います。心のどこかに「自分は人よりも物事がわかっていない」という事実に基づく評価を持っていて、「そう、だから自分は人の話をしっかり聞かなきゃ」という、そんな意識を人よりも強く持っています。それは極自然な意識遷移であり辻褄も合うのですが、結局、コミュ障特徴をそのままにしているので、よほどの環境に恵まれない限り、コミュ障人生から抜け出すことは出来ません。

◎人を頼らない
仕事でわからないことがあっても、なかなか聞いてこないタイプの人っていますよね。返事は「はい!」ばっかり。そういう人からコミュ障的な何かを感じ取ってしまう時もあるかと思います。

コミュ障は名探偵()です。「①わからない→②考える→③あれかも、これかも」とたくさん考えます。③のずーっと先に「④もう手は尽くした。誰かに聞こう」があり、そこでようやく人を頼ります。「人に聞く前に自分で考える」とか、それまでに受けた注意、例えば「もうちょっと自分で考えて」といった、〝正しい言葉〟を厳守しています。思いつく限りを試そうとします。わからない自分が悪いからです。でも大体④に行く前にまた怒られます。仕事が遅いからです。「わからなかったら聞いて」とか「もうちょっと自分で考えて」とか、まぁいずれにせよ何を言われても余計に混乱するでしょうね。自分は自分の状態に合わせた最適手段をとっているわけですから。
表面の様子だけでいうと、自分の力だけでなんとかしようと思い込んでいる、そんなイメージです。『人を頼ること』に偏った固定観念があり、それを、最終手段として認識している傾向が考えられます。アスペルガータイプの人が、休憩時間を取らずに仕事をやり続けるといった話もここと関連すると私は考えます。

◎状況に合わせられない
例えば、忙しい時には忙しい時の動き方ってものがあるもんです。しかし、コミュ障の人はそれに合わせられない時があります。「状況」ではなく「言葉」に沿って動いているからです。そういうタイプの場合、「今日は忙しいよ」と言っても必要な意図が通じていない場合があります。「忙しい」と聞いて思い浮かぶイメージの範囲に「急いで仕事をしている自分の様子」はあったとしても、「それはこれから先に行うかもしれない可能性の一つ」だからです。「今日は忙しいから急いでやってね」と伝えれば「実際に急いで動く必要がある」までがインプットされます。「今日は午後から忙しいから午前中にいつものあれこれ終わらせておいてね」と、時間の事も情報に含めると、より成功率が上がります。
仕事同士の繋がりに対する理解度も浅いので、「自分がやる仕事まで、急いで行う必要があるかどうか」で迷ってしまう場合があります。状況を正しく理解しようとすればするほど「言語化されていない部分」、つまり情報が不足している部分でエラーを起こします。自分が状況を十分に理解できていないことは自覚できていても、考え付く事は「最適な行動がわからない、でも何かやらなくちゃいけない、それはわかっている」といった程度で、いつまでも解決できません。そういう気持ちはどんどん膨らんで、いつかピークを迎えます。これが、コミュ障が『仕事中』に突然、窓を拭いたり掃き掃除をやり始める経緯です。
やってほしいことをしない、やらなくていいことをする、そんなイメージです。アスペルガータイプの人が、仕事がまだ残っているのに適切な断りを入れずに時間通りに帰ってしまう、という行動もここに含まれると私は考えます。自分の保有している情報から、自分と周囲の事を考え、最適を考え、その上で帰ろうとするのです。「たぶん帰っても大丈夫だろう」「もしかしたら怒られるかも」と、迷いながらの場合もあるでしょうね。

◎現実説明ができない
前の項でも言いましたが、コミュ障は「言葉」を基準に考えます。自分がコミュ障である原因は、言葉に対する理解度が足りない為だと思い込んでいる節があるので、言葉に注目するからです。周囲も、言葉で解決を図ろうとするものです。
しかし、言葉そのものは現実ではありませんから、仕事の話や判断は、実際の出来事を言葉に置き換えて言ったり、起きた事を基準に進められるものです。そういう場面で、言葉を基準に考えるコミュ障の話には「○○さんが言った話」がそのままの形で、情報として多く含まれます。実際の自分の動作基準が「相手の言葉」ですから、それ抜きに説明ができないのです。仕事の現状を聞くと「状況」が知りたい部分で、「○○さんが言った言葉」を情報として出すので、当てにできません。「○○さんの言葉」が話に必要である場面は、かなり限られている事にも気が付いていません。世の中そういうものだと思っています。
厄介なことに、仕事でミスをしてしまったの事情説明も同様で、事実経緯を本当の形で話しているだけで「○○さんが」というワードを挟むので、人のせいにしているように思われます。そんなイメージです。


・人を頼らない
・状況に合わせられない
・現実説明ができない

社会人の世界は、言葉主体だった学生の世界から、行動主体の世界になります。しかし状況がよめない、言葉も足りないとなれば、ほとんどの動作が『思い付きにレベル』のようなものとなり、自分自身もそういう自覚を持ちながら生きています。でもそこに具体性はありません。そんなイメージが持てるだけで、それがコミュ障の人生観です。

普段からちゃんと仕事についていけている人は、もし自分の身に「わからない」が起きたとしても、『必要なコミュニケーション』をとって解決できます。『自分に必要な言葉』を『相手と共有できる言葉』で、求めることができるからです。


コミュ障は他者や社会を恨んでいるタイプが多いと思いませんか。それは大体の場合、上司や先輩から「怒られる」という結末が待っているからです。フローに沿って最大限、適切な行動をとっているのに、それでもダメ人間扱いをされるので、「理不尽だ、わかっていないのは相手だ」といった意識が自然と芽生えるのです。
さらに「自分を怒る相手はどこにでもいる普通の人」というカテゴライズが社会観を大きく捻じ曲げます。そのある種の正義感は、いつからか社会に対する憎悪となり、そういう感情が大きくなりすぎてしまった場合、攻撃性として動作に現れたとしても、別に驚く事ではありません。本人の現実感に沿った上で、そのフローは正しく構築されています。

無差別殺傷事件を容疑者の顔写真をみて、おとなしそうな人だなぁと思えた時、私はよくそういうエピソードを考えます。

「世の中は別規格のロジックで回っている」「その考え方では話にならない」「全くわかっていない」、といったことを、何よりもまず、理解する事が先決です。



●その他、コミュ障の影響範囲と考えられること

◎勉強
先生の授業を聞くのもコミュニケーションです。コミュ障は勉強できない人が多いです。言葉を基準に考える為、自分で説明不足を補う事が出来ないからです。でも、勉強得意なコミュ障もいますよね。もしかしてその人の話、長くないですか? この部分はこの記事の重要なポイントの一つですので、詳しくは後述します。

◎運動
運動やスポーツの手本は「動作」が手本となりますが、練習など動作だけでは解決できない場合、「言葉」を頼る事になりますよね。そこで、差が出るわけです。「言葉」を基準に考えてしまうコミュ障は、そこから動作に反映できる要素も乏しいのです。これも、自分で説明不足を補う事が出来ない為です。

◎恋愛
恋愛の話はヤメテェェ!って声が聞こえそうですが、大丈夫です。私も仲間ですよ。安心して下さい()。ぶっちゃけますね。私も生まれて初めて誘ったデートでその異性に喫茶店で求婚した事があります。大恋愛の末に? 違います。親しい相手だよね? 違います。何度かデートした? いいえ。その人は誰? 職場の同僚です。友達? 違います。親友? 違います。他人? 雑談を交わす程度です。その後は? 相手が仕事辞めました


コミュ障の影響範囲は、人生の全てです。
この問題はそういうスケールで考えなければいけません。

世の中にある多くの事柄は、言葉から生み出されているのです。



●私のコミュ障エピソード

ここまでに「学生・社会人・その他」と三章に分けて書いてきましたが、全て私自身がとってきた言動が話の元ネタです。 あと細かいエピソードを少しだけ書きます。

・小学六年生の時、全校集会中に壇上で話す校長先生に、生徒の列の中から声をかけた。
・中学生の始業式の後、列になって教室に向かう途中、前を歩いていた知らない生徒に「友達になろう」と声をかける。
・中学生の頃、授業中、挙手をする際、自分だけが大きな声で「ハイ!」と言っていた。
・中学生の頃、すぐ怒る、すぐ泣くなど、喜怒哀楽の変化が極端すぎる。
・中学生の頃、冗談が通じないと言われる。一時のあだ名が「しんしょう」(身体障害者の略)だった。
・中学生の頃、誰彼構わず話しかける。特定のグループに定着できない。嫌われた末に、いじめられる。
・高校生の時、暴走族メンバーの知人に悪意無しに暴言を吐いてしまい、怒られる。(高校中退のきっかけになる)
・高校中退後、家業の飲食店に就職。店の雰囲気に合わない態度。お客さんに馴れ馴れしく話しかけたり、身体特徴を指して笑ったりしてしまう。

身も蓋もない事を言ってしまえば、コミュ障の言動の中に、まともなことは一つもありません。

最初だけは面白い人扱いされます。でもその内、笑顔が軽蔑の眼差しに変わります。
同じ時間帯で一緒に仕事をする人と関係が悪くなり、どちらかがシフト変更するか、どちらかが辞めざるを得ない状況にまで悪化します。どこにでもいる普通の人が「もうこんなありえない人と一緒にいたくない! 嫌だ嫌だ嫌だ! 誰か助けて!」と思っている様子が、顔や態度に現れます。コンビニエンスストアのような、バイトだけで回す職場環境が起こりやすいと思います。

その末に自分が仕事を変えても、また次の職場で人間関係が、同じ状態に陥ります。

人生が地獄となります。
もう何も喋りたくないと思います。
死を選んだ人もいます。

私もそんなレールの上にいました。

それがある体験を通して、ある事に気が付き、ある訓練をすることで、大きく改善できました。

私はいま、結婚をしています。以前は常に誰かと人間関係がこじれた状態の中で日常を過ごしていましたが、今はそういうことはなく、良好だと言えます。まぁもしトラブルを起こしてしまっても、それは生きている限り仕方のない事ですし、私は自分の力で考えて、向き合えるという自信があります。もうコミュ障時代の時のような、ぐちゃぐちゃなことにはなりません。

ここまで話してきたのが、私のコミュ障観です。どうでしょう?

自分の考えと全然違うと感じた場合は、これからお話しする克服方法もピンとこないかもしれません。
もし通じ合えるものを感じて頂けたら、この先の内容もぜひ読んでみて下さいね。


■2.感覚の特定

ではここからは具体的な話に進めます。
まずは、コミュ障克服の為に必要な感覚を掴むところから始めましょう。
下記の問題をやって下さい。

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正方形を言葉で説明せよ。ただし、以下の3つのルールを守ること。

【1】なるべく、算数や数学の用語を使わないで説明すること。
【2】なるべく、短い言葉で説明すること。
【3】なるべく、正方形を知らない人が、正方形をイメージできるように説明すること。



「なるべく」と曖昧指定の部分がありますが、そこは自分なりにで大丈夫です。
でも回答は曖昧ではなく、ちゃんと一つの完成文ができるところまで、やって下さいね。
「正方形とは……」から始まる文章でいいですよ。紙とペン、またはパソコンのメモ帳などを使って下さいね。

まぁ、正方形といえば小学校の時に習う図形ですから、簡単ですよね。
終わったら次へ進んでください。


……やってみてどうでしたか?
お願いした通りにやったとすれば、問題をやっている最中の頭の中では、こんな事が起きていたと思います。

「〝直角〟……いや、この言葉は算数の用語だから、とりあえず使わない方向で」
「〝辺〟も無しでいけないかな?……」
「全ての線が同じ長さで……」
「線の端が重なっている、で通じるかな?……」
「正方形とは、全ての線が同じ長さで……」
「文章長くなっちゃった。もう少し短くできないかな?」

大体こんな感じだったと思うのですが、如何ですか。
大変でしたか? 不慣れなことでしたか? 頭が疲れましたか?
けっこう難しかったと思います(笑)

前回のケアレスミスの記事を読んで下さった方なら、この先の話がもう予想できているかもしれません。
さっきの問題の回答文を作る過程で、頭の中でつかった感覚を、普段から意識することが大事なんです。


先の問題で指定した3つのルールが、「空気を読むこと」から「適切なコミュニケーション」を叶えるまでの秘訣を握っています。

◎【1】なるべく算数や数学の用語を使わないで説明すること。
これは、自分の知ってる言葉の中で、且つ、誰でも知っている言葉を選択する感覚を作ります。

◎【2】なるべく短い言葉で説明すること。
これは、相手に伝えたい事を、コンパクトにまとめる感覚を作ります。

◎【3】正方形を知らない人が正方形をイメージできるように説明すること。
これは、相手の姿や像を意識する感覚をつくります。

コミュ障の感覚を知りたい、体験してみたい、という方は、この3つのルール制限を意識せず排除した感じで、さっきの正方形の問題の回答文を考えてみて下さい。そうして作られた文章を聞いた相手が、どんな反応をするかをイメージして下さい。そうすると、そのイメージと連動する形で、その回答を相手に頑張って伝えている自分の姿もイメージされるかと思います。
そこまでできたら、普段の雑談や、仕事のやりとりも、その感覚で行った場合どうなるのかを、想像してみて下さい。

どんな日常が思い浮かびましたか? それがコミュ障の人生観です。コミュ障特徴の事で失敗をして反省しても、反省するだけで……、はい、本当に反省するだけなんです。上記3種のような、ルールの感覚が頭にないからです。

わけがわからないといった様子のまま、家の中で一人反省会を開いている姿までイメージできればGoodです!


この問題は人それぞれ、作れる文章の完成度に差が出ることはわかると思います。大切なのは、自分が作れる範囲でちゃんとした回答が作れることです。

【1】【2】【3】の感覚精度を高め、自分が作れる最高の回答文を作る為には、自分の事だけではなく、普段から、周囲の状況や行き交っている言葉を意識している事が求められると思います。文章を作るのに苦労した、上手く作れなかったという人でも、自分以外の周囲の状態に詳しければ、適当な言葉を絞り込む事ができたと思います。

【1】はわりと簡単だったと思います。算数や数学的と思える用語を、なるべく採用しなければいいのです。頭の中で、使える言葉、使えない言葉、保留にした言葉など、たくさんの言葉を浮かべたり消したりしましたよね。そのあと、【2】の課題が強まってきたかと思います。


【2】は特に重要です。感覚の強さとしては、【1】を背景に意識しながら【2】に注ぐ感じです。【1】はあれこれ頭を使わなくても勝手に導き出される感じもあるかと思います。でも【2】は頭を使わなければ、上手くできないと思います。どうすればいいのかわからないって人は、「文字数を減らす感覚」で考えて下さい。例えば、Twitterで呟く時は、文字数制限がありますから、言葉を削ったり、都合の良い単語でまとめたりしますよね。それでも読んだ人が理解できるよう、自分の言いたい事が伝わるよう、絶対に必要な文章や単語は削らない、でしょう? その感覚を外でも使う、上手に使いこなそうという意識でOKなのです。その変換の為に使う感覚が「言葉を選ぶ、作る、考える」という働きを担ってくれます。
これがちゃんと定着すれば、反射的に失礼な言葉が出てしまって、相手を怒らせたり傷つけたりといった、「口が勝手に喋った事故」を防ぐ事ができます。言葉が出る前に考える感覚だからです。さらに、頭を使って言葉を作るので、自分の発信した情報が記憶に残りやすいです。「あの時なにを言ったっけ……」と記憶が不鮮明になりにくいです。
この【2】ができるだけでも、だいぶ違います。多くの場合、長く話すよりも短く話す方が好まれますし、伝える事に失敗した時のダメージも少ないです。

余談ですが、『勉強』というものは、覚えた事を、自分の言葉でコンパクトにまとめ直す作業と言い換える事が出来ます。勉強できないという人は、この【2】の感覚がもたらす効果がわかっていません。だからそういう人は、先生の言葉や黒板の内容を、丸暗記~丸写ししようとするわけです。コミュ障に勉強できない系の人が多いのはこの為です。逆に〝勉強できる系のコミュ障〟は何でも知ってるけど何かと話が長くなる人もいます。それも【2】の感覚をあまり使っていない為です。【1】の能力や、記憶力が高いのでは、と考えます。


【3】は、先の問題では「正方形を知らない人」と指定しましたが、自分の発信内容を扱う相手のことを考慮に加える、その働きを担ってくれる感覚です。この感覚の精度が高いと「この人ならここまで話せば通じる」という、言葉作りの最適化ができるようになります。【1】と【2】は内向きの感覚ですが、【3】は外向きの感覚です。「説明は正確なんだろうけど、自分が理解できる形でしか伝えられない人」はこの【3】が弱いタイプです。



【1】【2】【3】まで、それぞれの特徴とポイントを話しました。さっきも言いましたが、どれも、最高のパフォーマンスを発揮する為には、普段の日常の中で、どういった言葉が使われているのかを、常にキャッチしていることが望ましいですよね。それがわかっていないと、自分本位になってしまい、知ってる人が少ない言葉を選択してしまったり、なくてもいいワードを含めてしまったりするかもしれません。とにかく自分の保有している情報だけではなく、周囲の最新情報がほしいと思います。

つまり、上記3種の感覚を意識し続けるだけで、意識は自然と周囲の状況を捉えようとするのです。加えて、言葉作りが上手になっていくのです。



ここまでできていれば、その時点でもう「場の空気」や「場の流れ」に、加わっている形と言えます。しばらくその関係が適切に維持できれば、『リアルタイムライン(現実のタイムライン)』も感じ取れるようになります。

そこがゴールです。
コミュ障の生き辛いところは、自分にはわからない別規格で作られた社会に、想像で合わせながら、生きなければならないことです。間違いや失敗も、もともと不利な条件の中で生きているから起こしてしまうわけで、自分の責任として受け入れることが嫌になってくるのです。だから、生きていくことも嫌になるのです。

でも、リアルタイムラインに加われるようになれば、もう十分、自分の能力で勝負ができている、といえるでしょう。これなら自分に至らない点があって、間違いを犯しても、「うん、これは自分がダメだった^^次、頑張る」と、前向きに受け止める事ができると思います。

次の項では、この3つの感覚を自分に定着させ、常駐感覚にする術をお話しします。



■3.リアルタイムラインに加わる方法

「空気を読む」とよく言いますが、どうやら常に感じ取っていますよね。普通の人たちは。つまり3種の感覚も、必要な時にMPを消費して使うものではなく、常駐感覚として定着させることが要です。

ですので例えば、さっきの正方形の問題をたまに頭の中で考える。それだけでOKです。
ちゃんと、3種のルールを意識して下さいね。自分が納得できる回答文ができるまで、やってみて下さい。

電車に乗っている時や、エレベーターの中、トイレで用を足している間、時間のある時に、チャレンジしてみましょう。正方形に飽きた、題材がつまらないと思えるなら、三角形や円と、問題を変えてみましょう。いやいや、図形じゃなくて、ほかの事柄でもいいのです。

◎【1】なるべく、専門用語を使わないで、誰でも知っている言葉で説明すること。
◎【2】なるべく、文字数を削って、短い言葉で説明すること。
◎【3】なるべく、それを知らない人でも、わかるように説明すること。

対象はなんでもいいので、この3種のルールを意識した上で、言葉をつくって、言葉で遊んで下さい!
そうすれば自然と、日常の会話や人とのやり取りでも、この3種の感覚が働くようになってくれます。

この訓練方法で期待通りの効果が得られれば、例えば、喋りながらでも頭の中で言葉を作れる人になれると思います。そこまでなれれば、職場で「○○さんって、めっちゃ説明上手だよね」って言われるかもしれませんね。
相手の説明下手にも気が付くことができるようになります。「こういうことですか?」と言い換えて、その場のコミュニケーションを自分の言葉で補う事ができるようにもなります。だから、二次弊害動作も自分の力で防止できます。

これから社会に出る学生の人は、よく聞いて下さいね。説明が上手って、それだけで、とても重宝されるんです。わからないことも、わかることも、自分の言葉で相手が理解できる形で説明できる人って、ずっと傍に置いておきたいって思うくらい、必要な存在なんです。
この訓練方法が貴方の感覚がベストマッチしていれば、数週間か一カ月程度で、そういう能力が得られるかもしれません。

常に周囲の流れが追えているので、言動がそこを基準に考えられるようになることが、最も大きい効果です。「相手が急に怒った」「どうしてこんなことになっちゃたんだろう」「どこからが間違いだったんだろう」という疑問とはおさらばです。その環境と同規格から作られた言動となりますので、周囲を困らせてしまうことがグンと減りますし、もしそうしてしまったとしても、普段追っているタイムラインからその経緯が「わかる、推測できる」ので、「素直に謝る、自分の意見を主張する」「事前に欠損情報を察知し、人に聞いておく」など、自分自身や周囲に対して、「必要な選択肢と向き合う、先回り行動ができる」ようにもなります。

早い人は、小学生の内からこういう感覚が身についていると私は考えています。

これも前回のケアレスミスの記事同様、繰り返しやっていれば嫌でも身につく癖という、人体の性質を逆利用しています。

どうですか? いけそうですか?
この方法なら、一人だけでもできますし、お薬も頼らなくていいと思います。
たまに考えるだけでいいのです。



■4.エピソード

最後に、この感覚の訓練方法を思いつくまでのエピソードを少しだけ話します。
かいつまんで話しますが、それでもちょっと長いです。

冒頭にも書きましたが、私は中学生の頃から障害特徴に自覚がありました。障害の知識はなかったけど、いじめ体験を通して、自分は障害者並みの何かだ、という評価を持つことができました。小学生の頃から同じ中学校にも進学した障害者(恐らく知的)のクラスメイトと自分に、いくつかの接点を見つける事が出来たのです。

このまま社会に出ても人と関われない、誰かをありえないほど怒らせて、殺されてしまうかもしれないと思いました。だから、なんとかして学生のうちに、普通の人になろうと心に決めました。周囲のクラスメイトを実験材料に使う事にしました。(ここは、本当に思った事を書いています)

クラスの人気者の口真似は私もやりました。会話の流れを調べる為です。その子から、俺の真似をすんな!と怒られるまでやり続けました。少しだけ普通がわかった気がしました。寝る前は必ず、その日一日の全てを頭の中で振り返り、自分の言動を検証するようにしました。これだけでもだいぶ、言動をコントロールすることができるようになりました。でも、感情がすぐ表に出てしまう特徴はなかなか抑えられず、頻度こそ減りましたが、感情的な言動は残ったままでした。

高校は人間関係をやり直す為に、自分しか進学しないところを選びました。ある程度、普通行動がとれるようになった事と、言動とリスクを意識した上で物事を考えられるようになったので、少々の事は自分の選択が招いた結果として、受け止める事が出来ました。中学生の頃のように、自分の状況の経緯がわからない、という事はなくなりました。

高校生活はそれなりに順調でしたが、楽しいという気持ちに慣れすぎたせいで、コントロールしていた感覚がまた無法状態になり、トラブルを抱える事が増えていきました。そして高2の夏休み、知人の暴走族のメンバーのBに、不愉快な事を言ってしまい、とても怒られました。
私の家(飲食店)でバイトをしていた友達Aの仕事が終わるまで、私の部屋で待たせてほしい、そのあと一緒に遊ぶからと、そのBが私の携帯に電話をかけてきた際、私は「お前が家に来ると邪魔だ邪魔だ」と、携帯電話越しに、悪意なく、冗談のつもりで、笑い話のつもりで、言ってしまいました。怒ったBは、メールで私を怒りました。私は彼の怒った理由がわからず、ただただ乱暴な言葉が含まれたメールが送られてきたので「お前とはもう遊ばん」と返事をしました。その夜、別件で友達Aの家に行く用事ができた私は、AとBと少しだけ自分も遊ぼうと思いながら家に向かっていました。その道中で、待ち伏せしていたBに捕まりました。私が酷い言葉を言った事に対し、土下座をさせられ、唾を吐き捨てられました。「なんであんなことを言ったんだ」と、その説明を求められ、私は「友達だと思ったから」と言いました。
彼はバットを持っていたけど、それで攻撃するような事はしませんでした。殴ったり蹴ったりも、しませんでした。Bは「友達なら言っていい事と悪いことがあるだろ」と、怒りながらも、がっかりした様子で言いました。その一言で、私はまだ自分が全然普通になれていないことを理解しました。「ごめんなさい」と謝りました。自分の意志でそう言いました。そして彼は去っていきました。

その出来事で自信を無くした私は高校を辞め、家業に就職しました。一時は絶望しましたが、ほかの友人からの励ましもあって、もう一度頑張ろうと思った私は、もっと自分に詳しくなろうと、頭で考えるだけではなく、日記をつけるようになりました。
今度は一日の全てを記すという日記で、夜22時~23時頃から深夜、時には朝方になるまで、パソコンの日記ツールに書いていました。毎日大学ノート4ページ分くらい書いていました。それでも、お客さんの話の意図がわからず、困らせてしまったり、身体的特徴を笑ったりといった、奇異な反応や言動はなくなりませんでした。実家は本格ステーキやスープを出すフランス料理店です。ラフなトークが許容される居酒屋や食堂ではありません。そういう店で働いているという自覚もありませんでした。

そして結局、コミュ障特徴は収まらないまま一人暮らしを始めることになりました。その生活の中で、記事の中程でも書いた恋愛の失敗がありました。私はその異性をとても困らせてしまい、その方は仕事を辞めていきました。何も言わずにいなくなりました。
私は自分のことが本当に恐ろしくなりました。そして、今まででの普通の人になる努力は、何もかも無駄だったのかと、本気で死にたくなりました。恋愛の事だけではなく、仕事だって上手くできないし、他の同僚とのコミュニケーションだって、ぜんぜんダメでした。どんなに考えても、変な言動をしてしまうのです。

それからしばらく大きな絶望と向き合うのですが、いろいろあってまた立ち直れた私は、放浪の歩き旅に出ました。
それまでの私は、自分のコミュ障特徴を、考えてなんとかしようと思っていました。
でもそれでは上手くいきませんでした。上手くいかないことがもう十分、わかりました。
じゃあ、感覚に訴えていくしかない、と判断しました。そのなんだかよくわからない衝動の方を信じる事にしたのです。
私はまず、一度でいいから歩き旅をしてみたかった、という願望を叶える事にしました。その上で感覚を育てていくイメージを持ちました。

一年と決めた放浪の歩き旅でしたが、色々あって一か月後には、都内のゲストハウスに住んでいました。資金的な問題もありましたが、ホームレスとの交流がきっかけでした。

仕事は、恋愛で失敗した時に勤めていた会社の支社が、都内にもあることを知り、そこを選びました。
もう一度、リベンジすることにしたのです。ただ漠然としたものでしたが「今ならできる」という確信がありました。


――長々と前置きが続きましたが、ここからが本編です。
その支社で働いてみると、私の身に、不思議な事が起きました。

なぜか、みんなの話についていけるのです。

どういうわけか、みんなの話がとてもよく、理解できるのです。

最終的に落ち着いた感想はこれでした。

『普通の人は、こんなにも早く喋っていたのか!』

毎日がそういう驚きの連続でした。そして、私はかなりの精度で、自分のパフォーマンス通りに仕事をする事が出来ました。そのまま現場のチーフにもなれましたし、最終的には、社員の方から一緒に働きたいと、社員への誘いを受けました。

その方は、「きみとの仕事が一番楽だから」と言ってくれました。
その人がそう思っていたことを、私もわかっていました。

その会社は後に、一身上の都合で退職することになりましたが、最高の一時でした。



整理しますね。

中学の頃からコミュ障特徴を自覚し、クラスメイトの口真似をしたり、寝る前に一日を振り返ることをしましたが、少しマシになっただけで、改善には至りませんでした。どれだけ周囲に迷惑をかけて、そのたびに反省しても、コミュ障イベントは繰り返されました。
高校中退後、家業に就職してからは、一日の全てを記す日記をしました。日記は五年くらい続けました。毎日自分の言動と向き合っていました。それでも、お客さん相手にコミュ障イベントを繰り広げてしまいました。
一人暮らしをした後も日記を続けましたが、結局、自分のせいで人が辞めていくという事件が起こりました。仕事も並以下で、同僚の中に親しい関係を築くこともできませんでした。

でも、歩き旅をした後、コミュ障特徴の大部分が解決していた、という流れです。

私も最初は、自分の身に起きたことがわかりませんでした。歩き旅をしたことで、精神的に解放されたから? 気持ちの問題だったということ? それとも年齢的なこと? ホルモンバランスとか?

あれこれ考えましたが、どれもこれだと思える要因を特定する事ができませんでした。

自分の身に起きた変化を理解できたのは、ずっと後になってからです。

私のコミュ障を解消してくれたのは、『歩き旅中に書いていた日記』なんです。

「でも日記はずっと書いてきたんじゃ?」と思われたかもしれません。
認知療法でも日記は有名だけど、そんな大きな効果が出るものなのか?」と、疑問に思われるかもしれません。

ここは、歩き旅中の状況を考えてみて下さい。

一日20km~30km、テントと寝袋、着替えや食料、必要な装備品をもって、ひたすら歩いた先で、寝床を探して、野宿をする……その前に、日記が書ける場所をみつけて、その日一日の全てを、ノートにペン、そしてポケット辞書を使って、書いていたわけです。

一日の時間の多くはその日記に使う事となりました。日中はひたすら移動し、日記に執筆には3~5時間ほど充てていと思います。それくらいの時間をかけないと、書ききれないのです。

その日々の中で、私はこんなことを考えていました。

・その旅中の日記をいつか本にして売って稼いでやると思っていました。だから言葉は辞書を使ってきちんと選んでいました。
・一日の全てを記すことが課題でした。でも早く書き終わらないといつまでも寝れないので、全てを書く為に、表現を工夫して、文字数を削ろうとしていました。
・ほとんどの人は歩き旅をせずに一生を終える。だから、読んだ人がこの感覚を実感できるように書こう、と思っていました。

それがまさに、上でもお伝えした、この3種の感覚だったのです。

◎【1】なるべく、専門用語を使わないで、誰でも知っている言葉で説明すること。
◎【2】なるべく、文字数を削って、短い言葉で説明すること。
◎【3】なるべく、それを知らない人でも、わかるように説明すること。

家で日記を書いていた時は、時間制限などがなく、好きなペースで、好きなタイミングで書く事ができました。一生懸命でしたが、こうして比較すると、「ただ書いているだけだった」ようなものですね。歩き旅中という制限のある状況下だったからこそ、特定の感覚が鍛えられていったというわけです。

そして私は自分の身に起きた変化を考え続け、この感覚こそが、自分が人とのコミュニケーションを取る上で使っている感覚であると、気が付くことができました。

さらに、人に伝授する方法を考えました。歩き旅を提案するわけにはいきませんから、友人にも意見を聞いたりして、要点となる部分を絞り込みました。その中に、先の正方形に関する問題があり、今回お伝えした記事の内容が出来上がっていったという流れです。



ここまで読んで下さり、ありがとうございました。お疲れさまです。
大体17000文字程度ありましたよ。読破した貴方はそれだけですごい!

いまコミュ障の自覚がある人に言います。心の中で思ったり、反省したりするだけでは、コミュ障人生からは絶対に抜け出せません。もう何年も繰り返してきたでしょう。人生を変えたい人は、今回書いたような、何らかの方法で、感覚を鍛えることを意識して下さい。それぐらいの具体性がなければ、そのゾーンから抜け出せません。

でも、コミュ障人生がダメだとは思いません。最初にも言いましたが、全ては『人と人とのストーリー』の始まりにすぎないのです。自分はコミュ障だったから運命の人と出会えたという人だって、たくさんいると思います。実際、私の今の妻だって、歩き旅中に出会った人なのです。

ただ、今までいろんな人から、人格否定を受けてきたかと思います。その程度の手段しかとれないことが、普通の人の精いっぱいです。その点、この訓練方法は、貴方らしさを守ったまま、自分を補う形で取り入れる事ができるものです。貴方は貴方のままでいられることが、大事な事だと私は思います。

この訓練方法が難しく感じるようでしたら、それは半分正解で、それだけだと、半分間違いです。
そもそも、コミュニケーションというものが、とても難しいものありで、簡単にできることではないのです。
リアルの会話は「キャッチボール」に例えられる事がありますが、実際には、「卓球のラリー」のように、目まぐるしくて、忙しないことなんです。

というわけで、気に入って下さったら、ぜひ試してみて下さいね。


最後に、前回の記事でも言った事ですが、大事なことなので、この記事でも改めて言います。この社会には、無意識にできるようになったことを、解説できる人が全然いないのです。だから自分でなんとかしなくちゃいけません。
コミュ障は障害特徴だから、「治せないもの、一生もの」と考えている人は多いです。そういう言葉はもう当てにしないで下さい。障害だから治せないのではなく、多くの当事者が、改善する為に必要な条件を満たせなかっただけのことなんです。
その一つの方法をこの記事で書きました。

はい、コミュ障は治せます。



hyogokurumi.hatenablog.com 【発達障害特徴の克服】 カテゴリーの記事一覧 - HyogoKurumi.Scribble togetter.com

○言葉の創作に興味がわいた人は、これも読んでくれると嬉しいな!
taskeyu.me



オマケその1。正方形の問題の回答と考え方について。

・正方形とは、形だけで言えば、漢字の口(くち)や、カタカナのロ(ろ)によく似ている。全ての線の長さを同じにし、線の端が口やロのように、同じだけ重なっている状態にすれば、それはちょうど正方形の形と言える……私の回答です。しょぼくてすみません。
この回答の元は7年前に考えたもので、たまに振り返って内容を更新して今の形になりました。もうちょい表現力鍛えたいです。

・「おりがみ」や「サイコロ」といった比喩表現も作れていればGoodです。こちらは友人や知人の講師が出した回答をお借りしました。
そんなのあり?と思われた方もいるかもしれませんが、問題の主旨が理解できていれば、それでも十分であることが分かるはずです。

・ひし形に注意! 正方形だけを表せることがベストです。

・ひし形に注意した上で、上記のような説明文と比喩表現、この2種の回答が用意できていれば100点でいいでしょう。片方だけでも0点ではありません。自分が自信をもって言える回答が作れること、それが大事です。



オマケその2。日記について。

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疑う人もいるかと思いますが歩き旅の事は本当です。
愛知県→静岡県→東京→埼玉と移動しました。100%徒歩ではなく、ヒッチハイクをしたり、電車やバスを使ったところもあります。一ヶ月かけて約300kmほど歩いたのを覚えています。
今度は完全徒歩移動で、またいつか挑戦したいです。

ちなみに、シャーペンで書くとこのように、経年で薄く劣化していくので、なるべくボールペンで書きましょうね(´;ω;`)