あぶり出し型脳に関する情報を読むために御アクセスされた方は、必ず下記記事からお読みください。
以下、本編
私は31歳の時に発達障害の診察を受け、アスペルガー障害の診断を受けました。でも、中学生の時から既に非定型特徴の自覚があり、長年、自身の特徴克服に向けて自助努力を重ねてきました。
今回はそんな私が新たに気がついた、定型と非定型の根本的違いに関するお話です。
障害者界隈では、「普通じゃない人」のことを「非定型」、「普通の人」のことを定型発達者と呼ぶことがあり、標準語のように定着しています。(不適切な言い方であると、この用語を使わない人もいます。定型発達者 - Wikipedia)
定型であれ非定型であれ、人それぞれ、どちらも多種多様ですが、本記事ではここ近年で認知度が高まっている「発達障害」を中心にお話をします。
また、表題の「あぶり出し型脳」という語呂の微妙な名称は、本記事を書くにあたって私が思いつきでつけた名称です。ググッても出てこないし(この記事を書いてる時点では)、発達障害界隈で普通に使われている単語、というわけでもないので、そのつもりでお読みくださいm(_ _)m
あぶり出し型脳とは?
最初にこの「あぶり出し型脳」というワードが頭にひっかかったのは今から9年ほど前、24歳の頃です。当時の私は人生初の一人暮らしをしていて、発達障害についてはまだ未診断で、自分は発達障害なのかと悩みながら日常を過ごしている、どこにでもいるグレーゾーンでした。
仕事は夜勤で、帰る時間帯は朝でした。駅前を通ると朝の通勤で職場に行く人とすれ違います。
私は一人、家路に着きながらいつも不安に駆られていました。帰り道の道中に、仕事のことが頭の中を駆け巡るからです。仕事に関することで、自分が再確認をした上で適切に処理をしたかどうか、片づけたかどうか、そのことが不安でたまらなくなるのです。
家のガスの元栓を閉め忘れたかどうか、それを気にするような感覚に近いですが、それとはなんだか違いました。他には、仕事中はわからなくて他の人に助けてもらったのに、帰り道の道中で、実はわかっていたこと、一人でもできたと気がつくこともありました。仕事中に気づけなかった事が、帰りになった頃、時間差でわかるという感じです。
そのようなことが毎日のように続きました。だから仕事を終えているのに、不安や違和感という感じが呪縛のように、私の頭を支配するのです。もう家にいるのに、仕事のことが気になって、ほぼ毎日眠り辛い日々を過ごしていました。
そして毎日、「今後はこういう不安が残らない仕事をしよう!」と心に誓うのですが、それがどうしても、仕事中は理解できないか。気づけないかで、帰り道になってからやっと頭が認識してくれるという流れでした。そのフローから抜け出せませんでした。
このように、後から理解が追いついてくる感じだったので、私はふと「まるで、あぶり出しのようだ」と思ったことがありました。
あぶり出しとは、特別な用紙に特別な液体で文字を描き、火の熱であぶるとその描いた文字や模様がじわじわと浮かび上がる、あのあぶりだしです。たしか小学生の理科の授業で習うと思います。
思えば思うほど、自分の思考回路はまさにあぶり出しだと思えたのですが、この時はそれ以上、深く掘り下げることはありませんでした。まだ社会に出たばかりで、さらに深く考察できるだけの思考材料となる経験を持ち合わせていなかったからです。
そして9年経った今、またこうして「あぶり出し」と向き合うこととなりました。私は過度なケアレスミスや非定型言動におけるコミュ障特徴など、いくつかの障害特徴を矯正してきましたが、この現象が未だに起きていることに気がついたからです。
今回の記事では、その私の予感と考察をまとめた内容をお伝えしようと思います。
この気づきは私自身を含め、多くの人の発達障害観を大きく変えてしまう予感がしています。気になる方はぜひお読みください。
追記 2021/01/11
本記事は考察本1及び考察本2をKDPセレクトへ登録する為に、非公開とします。非公開中はブログ上でお読みいただくことはできませんが、上記Kindle本をKDPセレクト登録したことにより、読者さまはKindleUnlimitedサービスを利用して、無料でお読みいただくことができます。
KU化に関する詳細は下記の記事をご確認ください。
後編